今日の岩手(県南)は穏やかな晴れのいい天気。母と父(時々オトン)は、仲良く映画「母べえ」を観に出かけました。家には私ひとり。とても静かです。
こんな静かな午後なので、私と病気の”なれそめ”から今に至るまでを振り返ってみたい気分になりました。とっても長くなります。よろしければお付き合いくださいませ。
現在の私の「うつ病」は、第三期です。第一期、つまり初めてこの病気になったのは2001年の秋だったと思います。その後第二期が2003年秋から冬で、第三期は2005年夏から現在に至るのです。
第一期
2001年秋、それは突然始まりました。「不眠」という言葉に全く縁のなかった私が眠れなくなってしまったのです。そして、眠っても疲れが残っている、言いようのない疲労感…と不快な症状が続けてあらわれ、ついには「頭が働かない」と感じるようにまでなりました。
「これは明らかに普通の状態ではない」と判断した私は迷うことなく精神科を受診し、はっきり病名は告げられないものの「抗うつ薬」や「睡眠薬」を処方されました。
しかし、最初に受診した精神科では、先生とも薬とも相性が悪く、ほどなく以前にお世話になったことのある「心療内科」の先生のもとを訪ねることになりました。
その先生には「うつ状態」と診断され、安心して治療を受けることができました。
この時の「うつ」の原因は当時勤めていた職場にあったと思います。女性が大多数の職場(医療関係)で、”派閥””いじめ”があり、職場の雰囲気が日増しに悪くなっていたのです。私は直接被害を受けることはありませんでしたが、その「重苦しい雰囲気」に影響されて精神状態が悪化していったのではないでしょうか。
幸い、「派遣」として働いて1年が経過していたので、その職場を離れることにし、症状はみるみる改善されていき、薬の服用も半年ほどで終わりました。
第二期
2003年秋から冬にかけての短期間でしたが、職場の人間関係が原因で「うつ」になりました。この時の先生には「うつ病」と診断されました。
当時の職場は「営業所」で、少人数の職場。上に立つ人が変わったことで、その人とうまくやっていくことができず悩んでいるうちに、疲労感・不安感があらわれ、薬の力を借りることになりました。
先生はあまり話を聞いてくれるタイプの人ではなく、ただ薬をだす…という感じでしたが、わたしも「まぁ、いいか」と割り切ってお世話になっていました。それほど症状が重くなかったので、3ケ月ほどで軽快しました。その職場にはもう居たくないと思い、パートという身分だったこともあり、勤めて1年で退職しました。
第三期
2005年4月、私は久々に「正社員につながる仕事」に就くことができ、かなり張り切って仕事に臨んでいました。3ケ月間は派遣として働き、うまくいけば正社員になれるという条件でした。そして、わたしの頑張りが認められ、晴れて正社員になることができたのです。
正社員になれた私は、「さらに頑張らなくては」と思いました。少数精鋭の会社で、みんな夜遅くまで仕事をしていましたから、私もそれにならいました。年齢は上だけど、私が一番下っ端なのだからと雑用も厭わず、周りへの気配りも相当していたと思います。
8月、疲労感・不安感が私を苦しめるようになりました。「またか…」と思った私は精神科を受診し、「うつ病」と診断され、治療が始まりました。
10月、何よりも「疲労感」に耐えられなくなりました。駅のホームで電車を立って待っていられない(しゃがみこんでしまう)、踏み切りで電車が通り過ぎるのを待つ間も同様でした。
そのうち、仕事中に「頭の回転が鈍っている」と感じるようになり、「働けない」と思った私は精神科の先生に相談し、「1ヶ月の療養が必要」という診断書をいただいて、会社に提出しました。
設立から間もない小さな会社、少人数で頑張っている会社。だから、「休職」なんて無理だろう、辞めることになるんだろうと考えていました。が、直属の上司と社長が病気に対して理解のある人で、私の「休職」は認められたのでした。他の社員には病名は伏せての休職でした。
1ヶ月の休職後、私は職場へ復帰。それからしばらくの間は薬の力を借り、残業などしつつもどうにか働き続けることができたのですが…
2006年10月、疲れが溜まって症状が悪化。「今度こそ退職だな」と覚悟を決めて、「休職の必要あり」の診断書を会社に提出しました。
会社からの答えは、「勤務時間の短縮とか、勤務日数を減らすことで何とか続けてみてくれないか」というものでした。私は迷いましたが、結局「時短勤務」という選択をしました。
こうなるとさすがに一緒に働く皆に黙っているわけにはいかず、また「うつ病でもきちんと治療を受けていれば普通の生活ができる」と知って欲しい、偏見をもたないでほしいという思いから、自分が「うつ病」であるということを知らせました。皆の態度は以前と変わることはなく、私は「仲間に恵まれたなぁ」としみじみ思ったのでした。
それから療養に専念するため退職する2007年9月まで、病状には波があり、遅れて出社したり、休んだりもしながら、なんとか働き続けることができました。仕事量を軽くしてくれたり、何かと気遣ってくれた上司の配慮、普通に接してくれた同僚のみんな、そして、温かい目で見守ってくれた社長に感謝感謝です。
2007年10月、私は故郷である岩手に帰ってきました。18年ぶりの母との同居。当初は「うまくいくかなぁ」と心配したものでしたが、思いのほか楽しくやっています。都会と仕事から離れ、のんびりと毎日を過ごすことでかなり回復していると思います。思い切って岩手に帰ってきたのは正解でした。
こちらでも良い先生にめぐり逢え、今後も安心です。薬が必要なくなるまでにはまだまだかかるでしょうが、再び働けるようになる日はそう遠くない気がしています。
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